乗り物に関する雑学集 - 真・役に立たない駄話

女性専用車両はいつごろ出来たのか?



 昭和48年9月、旧国鉄中央線に「シルバーシート」第一号が登場した。こ
れは社会福祉政策の一環として、国鉄の大英断・・・かどうかはしらないが、
とりあげられたもの。その後、各鉄道やバスにも順次採用された。

 この前進をたどると、戦後間もない昭和22年5月、中央線朝のラッシュ時
間帯に、「婦人子供専用車」を設けたことによる。その後、京浜東北線電車に
も設けられたが、まちがって男性が飛びこもうものならば、敵意ある視線に出
会って早々に退散させられたという。この辺は今の時代も変わらない。

 そしてこの「婦人子供専用車」に代わってお目見えしたのがシルバーシート
だったわけだ。

 ところで、この「婦人子供専用車」は実は明治時代にも存在していた。

 『鉄道100年写真誌』をひもとくと、「女子学生通学のため明治45年1
月始めて中野〜昌平橋間に朝夕2回婦人専用車を運転した・・・云々」とある。

 これは良家の女子学生に不良の男子学生が触ったり、からかったりするのを
乃木学習院長が見て、提案されたものだった・・・

地下鉄銀座線には電車が止まらない駅がある?

 東京の地下鉄銀座線には、1939年にわずか8ヶ月間だけ利用された幻の
駅がある。今でも駅はそのまま残されているので、虎ノ門から新橋に向かう途
中、注意してみると、レンガ色のタイルを確認することが出来る。

 そこが“幻の駅”になったのは、地下鉄の父と呼ばれた早川徳次と東急のド
ンだった五島慶太のいさかいが原因だった。

 まず、早川が経営する東京地下鉄道が新橋〜浅草間で営業をスタートした。
早川の思惑では、その後、新橋〜品川間を地下鉄で結ぶはずだった。

 ところが、五島の方は、その路線を延長して渋谷につなぐ計画を立てた。当
然、早川は五島の計画に猛然と抗議し、それによって五島が引き下がるものと
思っていた。

 しかし、五島は強引に工事を進めてしまって、渋谷〜新橋間の地下鉄を作っ
てしまった。

 怒り心頭の早川は、ふたつの新橋駅をつなぐことを許さず、五島側の地下鉄
の乗り入れをとうとうOKしなかった。その結果、同じ「新橋駅」というのに
壁にへだてられ、利用客らは乗り換えをしなければならないという不便を強い
られることになってしまった。

 そのひとつが現在幻の駅として残されているわけだ。

電車が近づいたことを示す機械の仕組みは?

 次の列車が駅のホームに近づいたことを知らせる「列車接近掲示器」。

 利用客の多い大都市の駅で見られるものだがその仕組みはどうなっているの
だろうか?

 まさか、前の駅の駅員が「いま、こちらをでました」と、次の駅の駅員にい
ちいち連絡を取っているわけではないだろう。

 この掲示器はは、信号機と大きな関係がある。例えば、駅と駅の間に第一、
第二、第三と3つの信号機が置かれているとしよう。その場合、掲示器はその
第二信号機と連動している。

 鉄道には、「閉塞区間」というものがあり、衝突防止のために、決められた
区間内には1本の電車しか入れないということになっている。たとえば、電車
が第二信号機を通過すると、第二信号機は赤に変わり、次の電車を入れないよ
うにするわけだ。

 そして、その信号の変化と掲示器が連動していて、次の駅に「間もなく列車
が入ります」という掲示が出るという仕組みになっている。