スポーツに関する雑学集 - 真・役に立たない駄話

夏の高校野球でわずか2年で無くなったルール




 大正4年(1915年)、大阪朝日新聞主催の全国中等学校野球大会が大阪豊中球場で開催された。

 この大会はやがて甲子園球場に移され、夏の甲子園大会となり、昭和23年(1948年)の学制改革によって従来の中等学校が高等学校となったため、全国高等学校野球選手権大会となって今に至っている。

 ところで、この夏の野球大会では、最初のころ、敗者復活戦があったことは意外と知られていない。

 敗者復活戦は大正5年の第2回大会から採用されたが、次の年の第3回大会で終了してしまった。

 つまり、たった2年で廃止になったわけだが、どうして早々と姿を消してしまったのか?

 第3回の時、愛知県立第一中学校は1回戦で敗れてしまったのだが、敗者復活制度により復活し、2回戦、3回戦、準決勝も勝ち、ついに決勝に進出。決勝では、関西学院中学と延長14回の死闘の末、1対0で勝利。なんと優勝してしまった。

 ところが大会終了後、1度負けたチームが優勝するのはおかしいという批判の声が上がった。

 そんなことから第4回大会以後、敗者復活戦は行われていない。

力士が行なう手刀の意味とは?

 相撲取りが勝負に勝って、懸賞金を受け取るときに手のひらを縦にし、チョ
ンチョンと何かを切るようなしぐさをする。あれが手刀だ。

 日本人は、日々の暮らしの中で、手刀を切ることは結構ある。人の前を通る
ときなど、手を縦にして、ひょいひょい上下させる。これは、右手を開いて見
せることから、何も武器を持っていないことを証明している。

 もう1つ、切るという動作により、道を切り開いていくというニュアンスを
持たせているのだとの説もある。

 相撲の場合は、勝利の神様にお礼をするという意味になるのだが、この手刀
も、向かって左、右、真ん中の順できると決まっている。

 左には神産巣日神(かみむすびのかみ)、右には高御産巣日神(たかみむす
びのかみ)、真ん中には天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の3神がおわ
すという。それぞれの神に勝利のお礼の気持ちを示すというわけだ。

なぜ、ゲートボールは「お年寄りのスポーツ」?

 ゲートボールといえば「お年寄りのスポーツ」というイメージが強い。

 しかし、ご存知の方も多いと思うが、もともとゲートボールは子供向けのスポーツとして考案されたものだ。

 考案者は、旭川市の鈴木栄治氏。昭和22年のことで、戦後の物資不足の時代、子供たちが情操教育の一環として考案したという。

 ゲートボールの原型は、13世紀のはじめにフランスで生まれたクロッケーで、鈴木さんは、かつてこのクロッケーを楽しんだことがあり、場所もとらず用具も少なくてすむことに注目した。

 それがまた、どうして「お年寄りのスポーツ」として脚光を浴びるようになったのかといえば、先の2つの理由に加えて、運動量が少ない、団体で楽しめるなどの理由が考えられる。

 もっとも、最大の理由は、お年寄りが定年後も元気でヒマをもてあましていたから、かもしれない・・・