歴史に関する雑学集 (3) - 真・役に立たない駄話

日露戦争と美容院の意外な関係?

 口説いても口説いても、なかなか「いいわ」といってくれない女性のことを
「203高地」といった時代がある。

 映画にもなったことがあるので、知っている人もいるかもしれないが、20
3高地とは、日露戦争のときに、旅順にある要塞を日本軍が攻めたときに、そ
のカギとなった標高203メートルの高地のこと。なかなか陥落しなかったこ
とから、口説いても落ちない女のことをそう読んだというわけだ。

 それを知ってか知らずか、当時、女性たちの間では「203高地髷」と呼ば
れる髪形が大流行していた。前髪を広く取った束髪で、その前髪がだんだん前
へ上へと高くなっていき、その形が203高地に似ているというわけで、そう
呼ばれた。

 かくして、この髪型にしようと訪れる女性たちで、美容院は大繁盛。男たち
が戦場で戦っているときに、女たちは美容院に通い続けていたのか・・・

そもそも、なぜ京都にはお寺が多いの?

 「江戸の八百八町、大阪の八百八橋、京都の八百八寺」。この「八」という
数字は多いことを意味し、江戸は町、大阪には橋、京都には寺が、それぞれそ
れだけ多いということを意味している。

 じっさい、京都市内には由緒ある寺が多く存在し、その数は800どころか
1600は存在する。京都が世界でも指折りの“宗教都市”だとされるのも、
当然のことだろう。
 
 京都に寺が集中するようになったのは、794年、桓武天皇によって、都が
奈良から京に移されたのがきっかけだった。当時、この国は仏教の教えを統治
の基本原理としていた。そのため、歴代の天皇や公卿たちは競って鴨川沿いや
東山などの丘陵地に寺院を立てた。

 さらに、治安が乱れた時期には、飢えに苦しむ庶民たちが心の拠り所となる
教えを求め、その中から浄土真宗などの新しい仏教が生まれ、新しい寺が続々
と建立されてきた。

 そんなわけで、この1000年の間、京都には寺院の数が増え続け、世界屈
指の“宗教都市”となったわけだ。

静岡でお茶の栽培が広まったわけ?

 大政奉還のあと、徳川幕府の驀進たちには、駿河(静岡県)にむかう者が多
かったという。徳川幕府とゆかりが深い土地だけに、故郷へ帰るような気持ち
だったのかもしれない。

 ところが、困ったのは駿河。いちどにたくさんの失業武士がきても、食い扶
持が無い。それでなくても、明治の世になり、状況は大きく変わっていた。

 そこで、駿河の為政者がとった方策が、元・武士たちを茶の栽培に投入する
ことだった。さいわい静岡は茶の生育にむいている条件が整っているうえに、
余剰の土地も多かった。

 こうして、静岡茶の生産はどんどんふえていく。量がふえていくとともに、
質のよいものもちらほらと出るようになった。これが、後の名産静岡茶誕生の
きっかけだった。

 静岡に“逃げた”武士たちは、武士の商法にならずにすんだようだ・・・