その他の雑学集 (2) - 真・役に立たない駄話

ドラマの突然の時間延長でCMがカットになった?

 製作費もない、ビデオ技術もない、こんなテレビ草創期、バラエティーだろうが歌番組だろうが基本はすべて「生放送」だった。ドラマ番組さえ生が当たり前。ちょんまげ、裃姿のお侍が行き交う時代劇に現代人のスタッフが平気で横切ってしまう場面もめずらしいことではなかったらしい。現代なら立派なコントになる、ある意味、見てみたい気もするが、ほかにも時間より早く終わりすぎて、ブラウン管が突然真っ白になるなど、笑えるエピソードが後を絶たなかったという。

 なかでも信じられないエピソードが、ドラマ時間の延長で後番組を押してしまうという話。セリフの長さ、スタジオ装置の都合などの事情が重なって、ドラマのオンエアの時間調整はひじょうに難しかった。キッチリ時間どおりに進行することのほうが稀だったといわれるほどだ。時間オーバーのときはバッサリとストーリーが途切れてしまったり、時間延長されて後番組を押してしまったという。野球やサッカー、スポーツ中継ならまだしも、ドラマが延長で後番組がずれるなんて今ならまず考えられないだろう。

 前番組の延長でその後のCM時間までもカットされることがあったというから、いまじゃ考えられないほどおおらかな時代だ。当時はCMも大半が生。スタジオ隅のテーブルに所品を並べスポンサー専属のCMタレントが商品の解説をする。いまもワイドショーや通販番組でこのスタイルが踏襲されているが、この生CMでとんでもないミスが起こったことがある。

 あるとき、前番組がいつものように時間延長で、急遽CM時間が短くなるという事態が発生した。舞い上がったのがCMのナレーションをするはずだった女性。時間をカットされたおかげで、何度も練習した商品解説が出来ない。取り乱した彼女は「せめて大切な内容を告知しよう」と、短時間に必死で商品解説のボードを書き上げ、それをテーブルにある商品の横においた。「これならナレーション時間が短くても商品のことを紹介できる」と。

 彼女のとった行動そのものは非常によかったし、間違ってもいなかった。しかし、いちばん肝心な商品価格を間違って書いてしまった。本来は30000円という商品を3000円と表記、「ゼロ」がひとつ少なかったのだ。

 放送の翌日、商品に群がる客、客、客・・・あらためてテレビの影響力の大きさを目の当たりにするほどの大騒動だったらしい。とうのスポンサーも多くの人達へのお詫びをふくめ大損害をこうむった。テレビ局側もスポンサーにひれ伏すほどの大失態となってしまった。以降、生CMは徐々に減少、多少の制作費はかかってもCMはフィルムへと姿を変えることになる。

初の「連続ドラマ」が大ヒットした意外なウラ事情

 NHK、日本テレビに遅れること2年、1955年4月1日、第二の民放テレビとしてラジオ東京テレビジョン(現・TBS)が開局。名前のとおり、もとはラジオ専門局だったが、民法初の「ラジオ、テレビ兼営局」として注目の参画を果たした。

 NHKはニュースやバラエティ番組、日本テレビはスポーツ中継と先行2局は2年間の放送を経ておのおの独自の個性を打ち出していた。視聴者からもそれらの個性が認知されはじめた時期だった。後発とはいえ、他の2局に後れを取るわけにはいかない。そこで、TBSが取り入れた独自の個性がテレビドラマだった。

 開局間もない4月9日から始まった『日真名氏飛び出す』は、アクションあり、推理ありのまぎれもなく日本初の連続テレビドラマだった。主役のカメラマン兼素人探偵・日真名進介役に東宝映画で脇役中心に活動していた久松保夫、その助手・泡手大作役に無名役者の高原駿雄を抜擢した。

 TBSがほとんど無名の二人を主役として起用したのには大きな理由があった。まだ広告収入もないニューメディアであるテレビには、ふんだんに使えるだけの製作費もない。高額の出演料を払って有名俳優を起用できるだけの環境も整っていなかった。加えて、テレビのことを「電気紙芝居」と揶揄する映画界の有名俳優陣の抱え込みも行われはじめた時期でもある(翌年には松竹、新東宝、大映、東映、東宝が五社協定を結び、本格的に俳優陣の抱え込みを開始する)。ところが、こんな秘めた裏事情が、TBSに大いなる幸運をもたらすことになった。

 俳優の知名度がなかったことが、逆に新鮮な魅力となって、放送開始早々から視聴者の心を魅了。ドラマはアッという間に茶の間からの絶大なる支持を獲得し、最高で70%の視聴率を獲得。その後1962年7月まで続く注目の人気番組となった。それまではバイプレーヤーだった二人の俳優も、いきなりテレビドラマ発の人気者としてスターへの道を歩むことになる。

 ここに「ドラマのTBS」という大きな個性が誕生した。

日本初のテレビCMは3秒で放送禁止?

 以前も話したが、社長みずからが広告主を口説きまわって、ようやく開局までこぎつけた日本テレビ放送網。ちなみにCM広告料金は30分番組が15万円、開局当日のスポンサーは6社。スポットスポンサーとして2社が名乗りを上げていた。

 1953年8月28日の放送開始日、正午の時報に合わせ、スポンサーの一社であった精工舎(現 SEIKO)の記念すべき初のテレビCMが22秒オンエア・・・されるはずだった。

 ところが、なんと、映像は3秒足らずで放送中止。技術力の不足か初日の大きな緊張感からか、フィルムを裏返しにして流してしまうという、あってはならないミスが発生した。

 結果、ナレーションの音声は流れず、映像も3秒足らずで消えてしまうという事態に。予定通りなら「腕時計は1秒間に5回。一昼夜には43万2000回も回転しております。1年に1回は分解掃除をいたしましょう」という名コピーのナレーションが茶の間に届けられるはずだった。が、はかなくもそれは空ぶり。日本初のCMが、くしくも日本初の放送トラブルという不幸な結果に終わってしまった。

 同日の午後7時、同じ精工舎の時報コマーシャルが流されたが、当然2回目はミスもなく最初から最後まで映像とナレーションが映し出され、現場スタッフたちもホッと胸をなでおろしたらしい。

 その後、数十年もの長きにわたって放送される認知度の高い長寿CMになるわけだから、何が起こるかわからない。