始まりに関する雑学集 (4) - 真・役に立たない駄話

初期のカメラは何のために使われたのか?

 写真機のことを英語でカメラ(camera)という。このカメラという言葉は、
部屋を意味するラテン語の(camera)に由来する。

 写真機と部屋、いったい何の関係があるのだろう?

 カメラはもともと、日食を観察する道具だった。11世紀、アラビアの学
者が、部屋を閉め切って窓に小穴をあけ、そこからだけ太陽光が入るように
すると、反対側の壁に太陽の像が映って、目を傷めずに日食が観察できるこ
とを本に書いた。
 
 その部屋は「カメラ・オブスキュラ」(camera obscura、暗い部屋、暗室)
と呼ばれ、ヨーロッパで評判になり、日食の観察に用いられた。

 そして17世紀になると、持ち運びのできる「暗箱」が作られ、画家たち
がそれを用いた。暗箱に景色を投影して、それを下絵に構図などを決めたわ
けだ。

 その暗箱が改良されて生まれたのが今のカメラであって、カメラという言
葉はカメラ・オブスキュアを略したものだ。

世界初の探偵社はどうやって出来た?

 世界で最初に私立探偵を作ったのは、アラン・ピンカートンという人物。彼
はイギリスで生まれたが、23歳のとき、アメリカに渡って、シカゴで桶や樽
を作る職人になった。

 ある日、材木を探しに森へ入ったら、数人の男がテント暮らしをしているの
を見つけた。「怪しい連中だな」と彼は直感して、警察に知らせたところ、偽
金作りの一味であることがわかった。

 この初手柄で、彼は犯罪捜査に興味を覚え、保安官になった。彼の父親が警
察官だったので、やはり、その血を受け継いでいたようだ。それから郵政省の
特別捜査官になって、列車強盗や銀行ギャングを片っ端から捕えて、すっかり
有名になったので、1850年、独立して、私立探偵社を作った、ちなみに創
業当時の部下は9人だった。

 1.賄賂をもらってはいけない。
 2.わが社は1日24時間、勤務する。

 これがピンカートン探偵社の規則だった。バッジには、大きく見開いた目の
下に、「我々は眠らない」という言葉が彫ってある。

 彼の名探偵振りがアメリカ中に知れ渡ったのは、リンカーンの暗殺を未然に
防いだことだった。リンカーンが大統領の就任式に出席するため、首都・ワシ
ントンへ行く途中、奴隷解放に反対する南部人が暗殺を計画した。ピンカート
ンはこの情報を部下から知ると、巧みに変装して暗殺団に加わり、まんまと彼
らの裏をかいて、大統領を危険から救った。フォード劇場でリンカーンが暗殺
される1年前のことだった。

 当時のアメリカは、まだFBIのような強力な警察機構がなかったため、ピ
ンカートンは無能な保安官を尻目に、めざましい活躍をし、そのたびに会社は
大きくなっていった。現在も世界最大の探偵社になっている。ちなみに推理作
家のハメットは、ここの探偵社出身だ・・・

『ちゃっきり節』はCMソングだった?

 古い民謡だと思っている人も多いかもしれないが、『ちゃっきり節』は昭和
2年、静岡鉄道の依頼により作られたもの。狐ヶ崎遊園地がオープンして、そ
れを記念するとともに沿岸の観光と物産をPRする目的から作られた。

 作詞をしたのは大詩人の北原白秋。『この道』『城ヶ島の雨』『あわて床屋』
など名作をたくさん残している。

 作曲者は民謡研究科の町田佳声。東海道線の列車内で、現地を見るため静岡
に行く白秋とたまたまでくわし、そのとき「やあやあ、じつはこれから歌詞を
作るのでできあがったらよろしく」と頼まれて引き受けたという経緯がある。

 歌詞や踊りには新しい茶摘の様子があらわされている。

 その振り付けはお茶を摘むというより、大きなハサミで刈り取る様子を表し
ているという。

 これは当時すでに静岡では、手で1枚ずつ葉っぱを摘み取る昔ながらのやり
方ではなく、ハサミで刈り取る効率的な方法が広まっていたためだ。

 だから「ちゃっきり」という言葉自体、茶を切るという意味と、ハサミの音
を表しているという。

 ちなみに2番の歌詞である「きやぁるが啼くから」は、実際にカエルが鳴く
のを聞いた地元芸者の〆吉が「きやぁるが鳴くんで雨づらよ」とつぶやいたの
を取り入れたようだ。

 ところで完成した『ちゃっきり節』を最初に聴いたとき、電鉄の担当者は自
分の期待したイメージと違うのでガッカリしたそうだ。もちろん今ではだれか
らも親しまれている名曲だ。