テレビドラマ『スーパーマン』が行った日本初の試み - 真・役に立たない駄話

テレビドラマ『スーパーマン』が行った日本初の試み



 次々とオンエアされるアメリカのテレビ作品。なかでも老若男女、とくに子どもたちからの絶大な支持を集めた作品が、何度もリニューアルされ多数の観客を動員したことでも知られる『スーパーマン』だった。

 外国テレビ映画放送の先陣を切ったTBSが1956年11月から放送を開始。大多数の人が知っている デイリー・プラネット社の新聞記者からスーパーヒーローへと変身するあのスーパーマンの物語だ。

 放送開始と同時に、視聴者からの大いなる反響。子どもたちがマントがわりに風呂敷を首に巻いて、スーパーマンごっこに興じる姿があちこちで見られるほどの社会現象にもなった。

 そして、この『スーパーマン』で日本初の試みが行われることになる。それが、声優による吹き替えシステムだった。それまでは映画同様の字幕だったテレビ映画に、TBSはわかりやすく日本語で物語る方法をとった。このことも幅広い視聴者を獲得できた要因のひとつだろう。

 番組冒頭に流れる「弾よりも速く、力は機関者よりも強く…」という決まり文句はだれもがすぐに覚え、マネをするほどに日本中に浸透した。

 スーパーマン=新聞記者のクラーク・ケントの声を担当したのが大平透(笑うせぇるすまんの喪黒福造、ハクション大魔王の大魔王役で有名)。彼はこの吹き替えがきっかけで一躍有名人の仲間入りとなり、同時に「声優」という職業も広く日本中に浸透していくことになる。いまでは、声優=アニメのイメージが強いが、当時は声優といえば洋画作品の吹き替えが主流。人気の役者の吹き替えを担当した声優は、その人自身も多数のファンを得るほどほど注目されたようだ。
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