海外のテレビドラマが日本の視聴者に影響を与えた - 真・役に立たない駄話

海外のテレビドラマが日本の視聴者に影響を与えた

 テレビの誕生は、多くの国民にとって心ときめく出来事だといえるが、それを面白くないと思っていた業界も当然あった。それは、テレビ誕生まで娯楽の王様として君臨していた映画業界。

 以前にも書いたが、松竹、新東宝、大映、東映、東宝の映画会社5社、後に日活も含めた6社が協定を結んで、映画作品をテレビに提供しないという、いわゆる5社協定を結んだ。これは作品だけでなく、俳優も同様だった。

 勿論、こういった減少は日本が発祥ではなく、アメリカでもその昔に起こっていたが、アメリカのテレビ業界はそんな映画業界の防衛策に屈することなく、テレビ局で次々と独自の制作プロダクションを設立し、テレビ放送用映画を次々と生み出していた。

 米で作られたテレビ放送用の作品、これが開局したばかりの日本のテレビ局にとっては大変ありがたいものになった。当時は1ドル360円の時代。また外貨使用にも制限が加えられていて、テレビ局が制作費として海外取材はもちろん、外国映画の買い付けなども、とてもではないが出来る状態ではなかった。

 一方、テレビ放送用の作品は、アメリカ国内で放映を終えたもので、すでに制作費を十分に回収できたものは、海外に安価で販売されることになる。1話につき、200〜300ドルほどの価格だったようだ。日本のテレビ局が目をつけないわけがない。

 真っ先にアメリカのテレビ用作品を購入し放送開始したのが、「ドラマのTBS」だった。1956年4月から『カウボーイGメン』という西部劇をオンエア。これが日本初となる外国テレビ作品の進出だった。これを皮切りにNHKが『ハイウェイ・パトロール』、日本テレビが『名犬リンチンチン』など、他局も次々とアメリカを中心とした諸外国からテレビ作品を買い付け、放送を開始した。

 かくして、まだ殆どの国民にとっては未知の世界だった、アメリカや諸外国が日本の茶の間のブラウン管から次々と映し出されるようになる。番組は大半が30分の連続モノでテンポ感のある単純な作品が多かった。わかりやすいストーリーと未知の世界への憧れからか、アッという間に、大人、子どもたちをも巻き込んでの人気の企画になっていった。
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