初の「連続ドラマ」が大ヒットした意外なウラ事情 - 真・役に立たない駄話

初の「連続ドラマ」が大ヒットした意外なウラ事情

 NHK、日本テレビに遅れること2年、1955年4月1日、第二の民放テレビとしてラジオ東京テレビジョン(現・TBS)が開局。名前のとおり、もとはラジオ専門局だったが、民法初の「ラジオ、テレビ兼営局」として注目の参画を果たした。

 NHKはニュースやバラエティ番組、日本テレビはスポーツ中継と先行2局は2年間の放送を経ておのおの独自の個性を打ち出していた。視聴者からもそれらの個性が認知されはじめた時期だった。後発とはいえ、他の2局に後れを取るわけにはいかない。そこで、TBSが取り入れた独自の個性がテレビドラマだった。

 開局間もない4月9日から始まった『日真名氏飛び出す』は、アクションあり、推理ありのまぎれもなく日本初の連続テレビドラマだった。主役のカメラマン兼素人探偵・日真名進介役に東宝映画で脇役中心に活動していた久松保夫、その助手・泡手大作役に無名役者の高原駿雄を抜擢した。

 TBSがほとんど無名の二人を主役として起用したのには大きな理由があった。まだ広告収入もないニューメディアであるテレビには、ふんだんに使えるだけの製作費もない。高額の出演料を払って有名俳優を起用できるだけの環境も整っていなかった。加えて、テレビのことを「電気紙芝居」と揶揄する映画界の有名俳優陣の抱え込みも行われはじめた時期でもある(翌年には松竹、新東宝、大映、東映、東宝が五社協定を結び、本格的に俳優陣の抱え込みを開始する)。ところが、こんな秘めた裏事情が、TBSに大いなる幸運をもたらすことになった。

 俳優の知名度がなかったことが、逆に新鮮な魅力となって、放送開始早々から視聴者の心を魅了。ドラマはアッという間に茶の間からの絶大なる支持を獲得し、最高で70%の視聴率を獲得。その後1962年7月まで続く注目の人気番組となった。それまではバイプレーヤーだった二人の俳優も、いきなりテレビドラマ発の人気者としてスターへの道を歩むことになる。

 ここに「ドラマのTBS」という大きな個性が誕生した。
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