ブラウン管に世界で初めて映ったものは何? - 真・役に立たない駄話

ブラウン管に世界で初めて映ったものは何?

 近年は、壁に貼りつけられるほどの軽量・薄型化をはかった液晶画面や、100インチを超える大型化を可能にした液晶画面、3D映像が見られるテレビまで、出てきたが、ほんの10数年前までは、ブラウン管画面が主流だった。

 いち早く開発に着手し、世界ではじめてブラウン管の蛍光膜状に映像を映し出すことに成功したのは、何を隠そう日本人技術者・高柳健次郎、その人だった。

 それは1926年の暮れも押し迫った12月25日のこと。東京・世田谷のNHK研究所から内幸町の放送会館の間に初のテレビ映像電波が放たれた。そして、次の瞬間、ブラウン管に世界初となる記念すべき映像がくっきりと映し出された。現れたのは、カタカナの「イ」の字。

 「イロハの最初の1文字だけ?たったそれだけ?」と思うかもしれないが、これは当時、世界を驚愕させる出来事だった。その後、1930年NHKは技術研究所を設立。高柳ら技術者を招き、本格的なテレビ実用化に向けた研究開発に乗り出した。

 日本は来る1940年に『オリンピック東京大会』開催を予定していた。そこで世界初のテレビ中継を目指していた。すぐれた科学技術力を世界にアピールすることで、国威発揚をはかるのが狙いだったのかもしれない。

 だが狙いはもろくも崩れることになる。1941年の太平洋戦争勃発である。当然、その以前にオリンピック中止も決定。そして敗戦・・・占領下の日本はテレビ開発どころではなくなってしまう。ドイツ、イギリス、ソ連、アメリカなどの各国が続々とテレビ定時放送を開始する中で、ブラウン管受信一番乗りの日本はすっかり後れを取ることを余儀なくされてしまった。

 しかし、ブラウン管の映像受信に成功した、高柳健次郎は、のちに技術者、関係者たちの間で日本の「テレビの父」として大いに称賛されることになる。幼いころフランスの雑誌にあった「テレビジョン未来図」という空想マンガを目にして以来、一心にテレビ放送実現を目指した高柳健次郎の偉業は、今なお語りつがれている。
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