夏の高校野球でわずか2年で無くなったルール - 真・役に立たない駄話

夏の高校野球でわずか2年で無くなったルール




 大正4年(1915年)、大阪朝日新聞主催の全国中等学校野球大会が大阪豊中球場で開催された。

 この大会はやがて甲子園球場に移され、夏の甲子園大会となり、昭和23年(1948年)の学制改革によって従来の中等学校が高等学校となったため、全国高等学校野球選手権大会となって今に至っている。

 ところで、この夏の野球大会では、最初のころ、敗者復活戦があったことは意外と知られていない。

 敗者復活戦は大正5年の第2回大会から採用されたが、次の年の第3回大会で終了してしまった。

 つまり、たった2年で廃止になったわけだが、どうして早々と姿を消してしまったのか?

 第3回の時、愛知県立第一中学校は1回戦で敗れてしまったのだが、敗者復活制度により復活し、2回戦、3回戦、準決勝も勝ち、ついに決勝に進出。決勝では、関西学院中学と延長14回の死闘の末、1対0で勝利。なんと優勝してしまった。

 ところが大会終了後、1度負けたチームが優勝するのはおかしいという批判の声が上がった。

 そんなことから第4回大会以後、敗者復活戦は行われていない。
ここは記事下のフリースペースです
この記事へのコメント

コメントを書く

お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

ランキングバナー